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旧スイス公使館「深山荘」に410人来場、

初の見学会とシンポジウム

初の見学会とシンポジウム「深山荘」中央の八角形のホールに集まり、説明を受
ける参加者。
スイス公使の日記も公開建築学や歴史学など様々な立場の研究者がシンポジ
ウムで講演した。
 軽井沢町と筑波大学は8月22日、戦時中にスイス公使館として使われた旧軽井沢の貸別荘「深山荘」の見学会と公開シンポジウムを開いた。
 町が2007年に取得してから初開催となった見学会は、約410人が来場。用意したパンフレットがなくなるなど関心の高さを窺わせた。

 軽井沢ナショナルトラスト会長の大久保保さんらが、建物の特徴やスイス公使館が果たした役割などを説明。大久保さんは「スイス公使館は、疎開した他国の大公使館の窓口となり、食料や燃料の確保に努めた。三笠ホテルに置かれた外務省軽井沢事務所とも連絡をとり、戦時中も国際親善の役割を果たした」などと話した。

戦中の軽井沢綴った
スイス公使の日記も公開


 軽井沢町中央公民館で開かれた公開シンポジウムは「深山荘」の歴史的意義や役割について探るのが目的。約250人が訪れた。軽井沢町に疎開したスイス公使カミーユ・ゴルジェ氏の日記を研究する、フライブルク大学(スイス)のクロード・ハウザー教授(近現代史)や、ゴルジェ氏らが本国の外務省などに送った電報の解読を進める筑波大学の花里俊廣教授(建築計画学)ら6人の研究者らが講演した。

 深山荘にスイス公使館が置かれたのは、1944年8月から45年11月まで。ハウザー教授によると、ゴルジェ氏の45年6月3日の日記には「住宅の隣りで労働者が穴掘り作業をしている。皇太后が避難するための地下壕を掘っているようだ」。同年7月20日には、「庭に壕を掘る作業は終わった。灯りがつき、中には家具も揃い、二人の兵士が日夜入口を守っている。皇太后はもうそこにいるのかもしれないし、いないかもしれない。知りたくもない」と綴られている。

 また、ハウザー教授は、「終戦日の8月15日の日記に、ゴルジェはほっとしたという感情と、日本兵による報復に対する不安の両方を表している。日本の降伏による終戦を、ゴルジェは当事者というより傍観者の立場でみている。憲兵の強い監視下にあり、本当の意味で終戦に向けた調停役を果たせなかったのでは」と話した。

 花里教授はゴルジェ公使らが本国の外務省などに送った電報の中に、フランス語で「軽井沢を爆撃しないでほしい」という意味の「イミュニテ カルイザワ」と記した文言があると指摘。「『イミュニテ カルイザワ』が『国体護持(天皇制維持)』の符号で、スイスが講話条件などを探っていた可能性もある」と、見解を示した。

 講演を聞いたスイス出身で軽井沢在住のアンドレアス・ストリッカーさんは「公使の日記については、初めて聞くことばかり。非常に面白かったですね」と関心を寄せていた。

町の本屋として親しまれた

平安堂軽井沢店が閉店

平安堂軽井沢店が閉店
 軽井沢の文化の一翼を担ってきた書店「平安堂軽井沢店」の閉店に、町内では動揺が広がっている。同店は今年8月1日、店頭に閉店を告知する旨の紙を貼り出し、8月31日に20年の営業を終えた。  同店は長野県内全域を中心に展開するチェーン書店の軽井沢店として1995年に開店。軽井沢町在住の小説家の作品コーナーを設けるなど、地域に密着した町の本屋として親しまれてきた。「出版不況の影響、また書籍の売上を支えていたCDの売れ行きが低迷したことなどもあり、20年のフランチャイズ契約期間が満了する節目の年に、店を閉じる決意をした」と、代表取締役(有限会社パントリー)の鈴木一夫さん。今後建物は貸店舗として活用するが、現在借り手は決まっていないという。  閉店に伴い、感謝や閉店を惜しむ声が上がっている。軽井沢在住の作家、小池真理子さんは、「25年前、軽井沢に居を移した当初、町には小さな書店しかありませんでした。その後、平安堂軽井沢店ができて、どれほど嬉しかったことか。軽井沢ゆかりの作家コーナーを作ってくださったのも感激でした。直木賞を受賞した時は、お店の平台に堆く積んでくださって、私はサイン本を作りに伺ったものです。閉店の話を耳にし、そうした数々の思い出にピリオドが打たれたような気がしました。ただひと言、さびしいです」とコメントを寄せた。町内5団体からなる「本のまち・軽井沢」会員のひとつ、軽井沢高原文庫の大藤敏行副館長は、「20年間、地域密着型の書店として多大な貢献があったと思う。本のまちの仲間としても、閉店は誠に残念なこと」と話した。町内在住の主婦は、「子供の誕生日プレゼントを平安堂で一緒に選ぶのが恒例だった」と悲しんでいた。

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