能登半島地震の被災地で、炊き出しなどの支援続ける 追分のレストランオーナー川島さん
追分の薪焼きレストラン「セミナーレ」のオーナーシェフ川島徹さんが、能登半島地震で被災した石川県穴水町や珠洲市などで炊き出しなどの支援を続けている。1月1日の地震発生直後から、お店のインスタグラムなどを通じ物資の支援を呼びかけると、付き合いのある農家などから野菜だけで約10トンが集まった。貨物自動車に食材をつめられられるだけつめこみ1月4日、埼玉県寄居町でカフェを営む友人と現地へ向かった。
最初に着いた七尾市の避難所では、自衛隊のトラックから大量の食料が運びこまれていて「支援の行き届いていないところが他にあるはず」とさらに北へ。地割れや液状化の箇所を慎重に避けながら、到着した穴水町の避難所「さわやか交流館プルート」は、エントランスで毛布にくるまって寝ている人もいて「細やかな支援が必要と感じた」。
地元のボランティアなどと協力して炊き出しを行い、最初は朝昼晩と毎回300食を用意したが、他の避難所や在宅避難者からの要望にも応じ、多いときは1度の炊き出しで1600食を作った。必要な料理数のとりまとめや、各避難所などへの配送は、被災し職を失った地元の人たちが買って出てくれた。
「食べられない」とからあげ弁当を捨てるおばあさん
大手コンビニから週に数回、から揚げ弁当やのり弁当などの支給があったが、炊き出しのときに比べ、避難者の表情が明らかに曇るのを感じた。「『もったいないけど食べられない』と、おばあさんが少し手をつけただけの弁当を捨てていた。避難者の多くは高齢者で入れ歯の人も多い。冷めたから揚げと白米だけでは辛いですよね」。
当初は数日間活動したら軽井沢へ戻り、往復を繰り返すつもりでいたが「あたたかい食事を提供する人がいないとまずい」と、2月17日まで約一カ月半行ったきりだった。「軽井沢や埼玉に集まった物資などを、友人たちが継続的に現地へ届けてくれたのが大きい。その後方支援がなければ続かなかった」。
地元の雇用創出へ「セントラルキッチン」の設置を提案
穴水町が2月27日に開設した「セントラルキッチン」は、町の委託を受けた地元の飲食店組合加盟の料理人が食事を作り、被災し職を失った人が各避難所への配送を担うというもの。川島さんが町に設置を提案し、内閣府に災害救助法の適用で費用負担を受けられるよう交渉した。「地元の若者や飲食店事業者が、県外へ流出する動きを少しでも止めたかった」と話す。
川島さんは現在、穴水町の仮設住宅で飲食の支援を続けながら、珠洲市でも炊き出しを行っている。軽井沢はこれから繁忙期を迎えるが「レストランの営業とバランスをとりながら、支援を継続していく」という。引き続き食材や衣類などの提供を呼びかける一方で、「何かしたい気持ちさえあれば、色々な支援の形がある」と、ともに現地で活動するボランティアも募集している。次は5月15、16日、珠洲市で炊き出しを行う予定だ。
追分のレストラン「セミナーレ」で調理する川島さん。レストランHPやインスタグラムでも物資の提供、ボランティア募集を呼びかけている。