ボキューズ・ドール出場 戸枝忠孝シェフの挑戦①
2年に1度、フランス料理界の頂点を決める世界最高峰のコンクール「ボキューズ・ドール」(フランス・リヨン市、9月26・27日)に、日本代表として出場した軽井沢町のレストラン「TOEDA」の戸枝忠孝シェフ。
日本の成績は参加21カ国中9位。フランスから帰国後2週間の隔離期間を経た戸枝シェフを訪ね、代表に決まってからの2年間のこと、「ボキューズ・ドール」の舞台、今後のレストランの方向性について話をお聞きしました。
ー本来だったら2021年1月の開催が、新型コロナの影響で2度延期に。モチベーションはどう維持しましたか。
戸枝忠孝シェフ(以下省略):2020年9月から店を閉めて、1月の開催に向け準備を始めました。10月過ぎに延期が発表されたので、店をまた再開して...と延期が決まるたびに、店の開け閉めを繰り返していたのが、一番きつかったですね。最初の延期発表があってからは、ボキューズ・ドールのことを一回完全に忘れて店の営業に集中し、2~3カ月はコンクールの練習から離れました。
ースポンサー集めなど、資金面で苦労することはありましたか。
大変といえば大変でした。ただ、浜田さん(星のや東京ダイニング浜田統之総料理長、2013年「ボキューズ・ドール」3位)の紹介で、包丁のセットを無償提供して頂けたり、本当に多くの方に協力頂いて...。クラウドファウンディングでも多くの支援があり、最終的に資金は足りたんですけど、最初は参加できないのではというくらい心配はありましたね。
ー自宅のガレージに大会用の厨房を組んだと聞きました。
(コンクール上位常連の)北欧の国やフランスは、同じ機材を全部いれて練習するという話だったので、スポンサーになっていた厨房機器メーカーさんに連絡して全部組んで頂き、ずっと練習していました。
ー4月後半に課題が発表されたときの印象はいかがでしたか。
魚、肉料理の付け合わせを3つずつ考えていたのですが、いざ発表になると「テイクアウトボックス」というコロナ禍をふまえた課題で驚きましたね。肉料理のプラッターを乗せる銀のプレートは、毎回国ごと自由に作れるのですが、今回はコロナ禍で負担も多いからと提供されることに。計画を立てていいものが既に出きていたので、お披露目できずに残念でした。
ーサポートメンバーとして帯同した前回コンクールと、会場の雰囲気の違いは感じましたか。
前回は日本も含め各国の応援合戦が賑やかでしたけど、今回は応援団が大勢で来ていたのはフランス、イタリア、デンマークくらい。さすがに表彰式のときは盛り上がってましたけど、競技中は静かでやはりコロナ禍でやっているのだなと。
ー日の丸を背負う感覚というのはどういうものですか。
まさか料理人になって日の丸を背負うとは、思ってもいなかった。会場に行くと各国の国旗が見えるので、代表で来ていることをひしひしと感じるというか。ちょっと身が引き締まりましたね。
ー料理には信州産の食材も多く使われたのですか。
安曇野のワサビは肉料理のソースの一番の決め手に使わせて頂きましたし、シイタケや朴葉も長野のものです。
ー軽井沢の要素も、料理のテーマに組み込んだのですか。
プラッターの肉料理は軽井沢の森の中をイメージして、お皿に盛り付けたときは、朴葉をかたどったフランスの焼き菓子「チュイル」で全体を隠し、それをどけると森の一部が現れるイメージですね。
ー日本は9位という結果でした。準備してきたものは全部出せましたか。
必死に練習していいチーム状態で臨めたし、緊張することもなく、今までで一番という料理を出せたので、そこに悔いはいです。ただ結果に関しては、さすがに悔しい思いがありましたね。