メルシャン軽井沢美術館跡地の行方は?

メルシャン.JPG 2016年4月現在の状態。美術館の建物や白樺林はそのまま残っている。左端の土地に役場の庁舎を建設。右端には、野外展示されていた昔の蒸留窯がそのまま残っている。
メルシャン02.jpg かつて、多くの人々が展示を楽しんだメルシャン軽井沢美術館。
メルシャン01.jpg ツタのからまる蒸留所は趣があり、記念撮影のスポットだった。
西欧の薫りに満ちたミュージアムパーク
 1995年、御代田町に「アートと自然と食が融合したミュージアムパーク」として開館したメルシャン軽井沢美術館。 既存のウィスキー蒸留所内にある樽貯蔵庫を、フランスの建築家、ジャン・ミシェル・ヴィルモットが改修・設計した美術館は16年の間に29回の展覧会を開催した。 展覧会にはフランスのRMN(フランス国立美術館連合)が協力し、ピカソやミロ、モネ、ルノワールなど数々の名画が並び、延べ90万人を超える来場者が鑑賞した。
 大黒葡萄酒工場として造られたこの工場は、1962年に三楽オーシャンの傘下となり、オーシャンウィスキーを蒸留するようになった。
「軽井沢を訪れたショー師の故郷はスコットランド(曾祖父がスコットランド人)。ウィスキーは霧の流れる軽井沢がふさわしい」とアピールしていた。 これに由来し製造販売した「軽井沢」ブランドのウィスキーが好評だった。その後、メルシャンとなってからもウィスキー「軽井沢」は2000年まで蒸留していた。

2011年11月、閉館。文化を継承する企業を探すが...
 ピーク時には年間約10万人が訪れたメルシャン軽井沢美術館だったが、収益環境が厳しいという判断が下され2011年11月に閉館した。
 御代田町役場によると、文化的施設として継承してくれる企業をメルシャンに探してもらったがみつからず、メルシャン側から御代田町へ買ってくれないかという打診があったという。2013年3月に美術館や蒸留所などの建物18棟を含めた土地を御代田町開発公社が取得した。
「ちょうど役場の庁舎が老朽化し、耐震の問題もあって建て替えの話が進んでいたときで、候補地の一つになった」と建設課の小林靖さんは振り返る。文化施設の「エコールみよ
た」が近いということやコスト面を考慮し、2013年8月に、役場の庁舎の建築場所として決定した。
 2015年10月25日に軽井沢蒸留所を一般公開した。蒸留所の最後の姿を見ようと訪れた人は約800人。蒸留所で活躍したポットスチルやマッシュタン、ウォッシュバックなどを見納めた。

ポットスチル、レンガなどこの場所の歴史を残す
 2016年1月~3月末に蒸留所を解体し、現在は更地となっているが、美術館だった建物はそのまま残っている。庁舎は今年の9月に着工、完成の予定は来年12月。庁舎として使用する土地は全体の3分の1で、残りの土地の利用は決まっていない。
「企業誘致を行う予定だが、文化的なことに使ってもらえたらいいと思っている」と、企画財政課阿部晃彦さんは話す。庁舎は蒸留所の保存状態の良いレンガを組み入れたり、初代のポットスチルを新庁舎の敷地内に展示したりする設計だという。
 今後は御代田町の文化ゾーンとして、この場所をどのように活用していけるかが課題となる。

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