【連載】わが軽井沢への想い ②環境保護運動

 前号の別荘保存運動に関連し、軽井沢が今なお高く評価されているのは町内での風俗営業の取り締まりと在日米軍演習地建設反対など環境保護運動のためである。

 このうち、前者は1951年、町が多くの住民の要望を受け、売春を取り締まる条例を制定、各地の自治体における同種の運動もあって政府による1956年の売春防止法の成立・施行に大きな示唆を与えたほか、1958年、「軽井沢町の善良なる風俗維持に関する条例」の制定・公布による風俗営業の開店の不許可、さらには「軽井沢風俗審議会」の発足へとつなげた。

 一方、後者は在日米軍とこれに追従する政府が1953年5月、当時の軽井沢町長の独断による陳情もあって浅間山(標高2568メートル)西麓およびその周辺に米軍演習地の設置を提示したため、町民をはじめ、県民約5000人が長野市で開催された県民大会に参加、反対を表明して政府に陳情した。また、同山の噴火警戒に努める峰の茶屋の東京大学火山観測所も反対を表明し、在日米軍および政府は建設を断念、同年7月、正式に撤回した。

 以来、約70年の歳月が流れているが、おかげで町内には怪しげなホテルや危険な施設などは見当たらず、国際避暑地・軽井沢のブランドを守り続けている。国際連合が2030年を目処に各国に達成を呼びかけているSDGs(持続可能な開発目標)への理解と協力に努めることにも期待したいものである。

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在日米軍演習地を設置予定だった浅間山西麓(後方)

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