加賀乙彦先生の軽井沢 矢代朝子(俳優)

追悼・加賀乙彦さん

軽井沢で50年近く仕事場を構えていた作家の加賀乙彦さんが、1月12日に死去した。享年93歳。1998年から軽井沢高原文庫の館長も務めていた。生前、親交の深かった俳優の矢代朝子さんに追悼文をお寄せ頂いた。

 先生と私は軽井沢高原文庫の館長と理事という形で、この十数年楽しい時間を過ごさせて頂いた。

 軽井沢が他の避暑地と違うところは、文学作品がそのイメージを作った、今でいえばSNS的な役割を担っていたことも大きいと思う。加賀先生にも軽井沢を舞台にした作品がいくつかあり、戦時中の軽井沢が外国人疎開地だった特別な様子を記したものもある。それらは追分の別荘でたくさんの資料を基に執筆なさった。軽井沢では筆がはかどる、と父の友人の作家の方々はいつも話しておられた。私は子供時代、別荘のベランダで執筆している父の姿を見た時は、遊んで帰って来ても「ただいま」を言わずそっと家に入ったことを思い出す。

 加賀先生は先人の遺した「軽井沢文学」をとにかく大切になさった。作中舞台となる軽井沢の風景は今も変わりなく残っているからだ...と、言いたいところだが、この数年、避暑地とは思えぬ都会並みのマンション、ホテル建設が平然と許されるようになり、先生と夏の始めに、前の年との町の変化にまず驚くことが恒例になってしまった。先生は決して「仕方がない」とはおっしゃらなかった。

 私と加賀先生の接点であった軽井沢高原文庫もコロナ禍の影響を受け大きく舵をきった。昨年春に十年続いた睡鳩荘での朗読会終了からはじまり、文学者のサロンのような企画会議の理事会も残念ながら中止が言い渡され、私の文庫との関わりは幕が降りた。加賀先生はその前年からもう施設にお入りになっていたので、実質的には館長のお仕事はご無理になっていた。この現状を知ったら果たして「仕方がない」とおっしゃるかどうか、もう知る由もない。

 軽井沢の自然を愛し、ご自宅周辺の散策が日課だった先生。今の私は先生の文学への思いを偲ぶことしかできず情けない限りだが、軽井沢の行く末を天国から見守ってくださいと、生前の感謝と共に祈ろうと思う。

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朗読イベントのトークショーでの加賀乙彦さん(中央)、左が矢代さん、右は青木裕子図書館長(当時)。2014年6月、くつかけテラスにて。

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