軽井沢とも関わりの深い、難民救済に尽力した二人の女性
ウクライナ各地が戦禍に見舞われ、多くの人が難民となっている。日本でも支援の輪が広がっているが、軽井沢に所縁深い二人の女性が難民救済に尽力していたことをご存じだろうか。一人はAAR「難民を助ける会」を設立した相馬雪香さん、もう一人は日本人として初めてUNHCR国連難民高等弁務官となった緒方貞子さんである。
AAR難民を助ける会を設立
相馬雪香さん
政治家・尾崎行雄と英国公使夫人の秘書・テオドラ英子との間に生まれ、毎夏を軽井沢で過ごした雪香さん。1931年に父と共に欧米を回り世界の中の日本を考えるようになった。ベトナム戦争が終結し、避難してくるボートピープルへの支援をきっかけに、1979年「難民を助ける会」を設立。「軍備の再武装ではなく、道義と精神の再武装が世界の平和をもたらす」と呼び掛け、世界各地の支援活動を行った。毎日、新聞5紙(内2紙は英字新聞)に目を通す雪香さんは「1紙ではダメ。真実はわかりませんよ」と筆者に教えてくれた。晩年は軽井沢に通年暮らし、90歳を過ぎてからも世界の貧困問題や核兵器廃絶、被災地支援に取り組む「ユニセフさくら」など多くの団体で活躍。「難民を助ける会」会長として亡くなる数か月前まで講演を行い生涯現役を貫いた。軽井沢で死去。享年96歳。(文責・広川小夜子)
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女性初の国連難民高等弁務官
緒方貞子さん
1992年7月、サラエボ空港に降り立った防弾ベスト姿の緒方貞子さんを覚えている人は多いだろう。日本人で初めて、女性としても初の国連難民高等弁務官に就任し、クルド難民の保護やボスニアでの人道支援、ルワンダでの難民キャンプの維持など、10年にわたりリーダーシップを発揮した。
子どもの頃から泉の里の別荘で夏を過ごし、戦時中は疎開生活。三笠ホテルに外務省の分館ができた際は、自転車で毎日通勤した。後に南原に別荘を構えテニスを楽しんだ。
2010年のインタビュー時に「今、私たちに何ができますか」と尋ねると、こう答えてくれた。
「みんながそれぞれに色々な人と交流を持ち、国籍や国境を越えて運命共同体としてお互いに役立つようにしていこうという意識を持ってほしい。国際的な場所である軽井沢では、特にそういう気持ちになります」(文責・広川美愛)