軽井沢の文化遺産は守れるか⑦ 広川小夜子(前軽井沢新聞編集長、ジャーナリスト)
2018年に三井三郎助別荘の保存運動をきっかけに誕生した「軽井沢文化遺産保存会」は、川端康成別荘の解体に直面し、文化遺産を守るためにはもっと早くから「売却・解体」の情報を得る必要があるとして、11月に「軽井沢文化遺産別荘バンク」を立ち上げた。
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「軽井沢文化遺産別荘バンク」開設の情報はマスコミが大きく取り上げ、新聞やSNSで全国へ流れた。さっそく保存会には、こうした別荘に関心を持つ人や登録したいという人々からの問い合わせがあった。
東京都新宿区に住む呉宏明さんからは、別荘バンク登録の第一号として載っている旧ウイン別荘に関するメールが届いた。
呉さんは神戸のカナディアン・アカデミー高校でウインの曾孫と同級生だった。新聞記事を米国へ送信したところ、驚いた曾孫からは訪日の際はぜひ見に行きたいと返事がきたという。その後、呉さんが翻訳したウインの伝記が保存会へ届いた。
軽井沢では、芥川龍之介や堀辰雄が訪れた、歌人・片山広子の別荘として知られている別荘だが、建主のトーマス・クレイ・ウインについては宣教師という程度しか知られていない。
ウインは1851年、米国ジョージア州生まれ、26歳で来日。明治中期から仏教が盛んな金沢で伝道し「ヤソ教は邪教」と言われながらも学校や孤児院を設立し、人々と温かな交流を重ね信頼されていく様子が伝記に描かれている。夏には軽井沢を訪れ、別荘を建てて2カ月を過ごした。「好きな土地は軽井沢。毎年2カ月、夏を過ごす」「鬱蒼たる森林に囲まれた瀟洒な家」という記述もある。
伝記は現在の所有者Yさんへも送られた。「建てた人がウインと名前は知っていたがこのような人とは知らなかった。お孫さんが来られるのを楽しみにしています」とYさんからも喜びのメールが届いた。
100年の時を超えて、建主の曾孫と現在の所有者が笑顔で語り合う日を私たちも楽しみにしている。
世界でも特別な歴史を持つ軽井沢ならではの物語がまた一つ見えた。
軽井沢文化遺産別荘バンク第1号登録の旧ウイン別荘(上)。トーマス・クレイ・ウイン(下)。