作家 遠藤 周作 さん
軽井沢で出会った人々 vol.9
えんどう・しゅうさく(1923~1996年)
1923年東京生まれ。小・中学校時代は関西で過ごし、1935年にカトリックの洗礼を受ける。1943年慶応義塾大文学部予科入学、のち仏文科へ。戦後初のフランスへの留学生として渡仏しリヨン大学に入学。肺結核が悪化し、1953年に帰国。1955年「白い人」で芥川賞受賞。「海と毒薬」で新潮社文学賞、毎日出版文化賞。1966年『沈黙』で谷崎潤一郎賞を受賞。1993年『深い河』を発表。1996年死去。
1923年東京生まれ。小・中学校時代は関西で過ごし、1935年にカトリックの洗礼を受ける。1943年慶応義塾大文学部予科入学、のち仏文科へ。戦後初のフランスへの留学生として渡仏しリヨン大学に入学。肺結核が悪化し、1953年に帰国。1955年「白い人」で芥川賞受賞。「海と毒薬」で新潮社文学賞、毎日出版文化賞。1966年『沈黙』で谷崎潤一郎賞を受賞。1993年『深い河』を発表。1996年死去。
遠藤周作さんこと狐狸庵先生を取材したのは1984年の夏。今のように個人情報が取りざたされることもなく、別荘訪問の取材はわりと気軽に応じてもらえた。電話をかけると作家自身が電話に出るということもあり、かけたこちらがびっくりすることも少なくなかった。遠藤周作さんのときも同様で、「では、午後2時に」とご本人と約束した。
数日後、私は千ヶ滝別荘地の中をウロウロと迷いながら運転し、何とか遠藤別荘に辿り着いた。「こんにちは~」「ごめんくださ~い」と、大きな声で何回呼んでも返事がない。「約束を忘れてしまったのだろうか」。携帯電話もない時代、とにかく待つしかないので、その間に外観の撮影をすることにした。カメラのファインダーをのぞいてびっくり。壁が弾丸を撃ち込まれたように穴だらけだったのだ。「これはいったい?」と思いつつ、外観の写真を撮っていると、遠藤周作さんが道の向こうから歩いて来た。
「いやぁ、すまんすまん。ちょっと、そこまで買物に行ってたんでね」。ちょっとそこまでといっても、家は空けっぱなしだし、近くの店といっても歩いて30分や40分はかかる。そんなことから、軽井沢ではのんびりと過ごされている様子が感じられた。
「朝方、ドンドコ誰かが戸を叩くんだね。どなたですかと何度訊いても返事がない。戸を開けてみるとキョトンとした顔のキツツキだったりしてね。これがまたあちこちに穴をあけるんだよ。すると、その穴にカケスが巣を作ってヒナがピーピーうるさい。まぁ、風情があるとも言えるな」(...あ、あの壁の穴はキツツキ!)これだけ穴だらけの別荘も珍しいが、怒らず「風情がある」と受けとめているのもさすが。
「そういえば、数年前におまわりさんが自転車でここへやって来て『昨日、クマがこの辺りを通りませんでしたか』鳥井原の畑がクマに荒らされたんで、この辺はクマの通り道だから調べていると。それはもうびっくりして、あわてて東京に帰っちゃったよ(笑)」。これだけは風情があるというわけにはいかなかったようだ。
売れっ子作家だから軽井沢でたくさんの原稿を執筆しているのかと思いきや「いやぁ、仕事ははかどらん。風情があるのにどうして?って、それは」(次号へ続く)
数日後、私は千ヶ滝別荘地の中をウロウロと迷いながら運転し、何とか遠藤別荘に辿り着いた。「こんにちは~」「ごめんくださ~い」と、大きな声で何回呼んでも返事がない。「約束を忘れてしまったのだろうか」。携帯電話もない時代、とにかく待つしかないので、その間に外観の撮影をすることにした。カメラのファインダーをのぞいてびっくり。壁が弾丸を撃ち込まれたように穴だらけだったのだ。「これはいったい?」と思いつつ、外観の写真を撮っていると、遠藤周作さんが道の向こうから歩いて来た。
「いやぁ、すまんすまん。ちょっと、そこまで買物に行ってたんでね」。ちょっとそこまでといっても、家は空けっぱなしだし、近くの店といっても歩いて30分や40分はかかる。そんなことから、軽井沢ではのんびりと過ごされている様子が感じられた。
「朝方、ドンドコ誰かが戸を叩くんだね。どなたですかと何度訊いても返事がない。戸を開けてみるとキョトンとした顔のキツツキだったりしてね。これがまたあちこちに穴をあけるんだよ。すると、その穴にカケスが巣を作ってヒナがピーピーうるさい。まぁ、風情があるとも言えるな」(...あ、あの壁の穴はキツツキ!)これだけ穴だらけの別荘も珍しいが、怒らず「風情がある」と受けとめているのもさすが。
「そういえば、数年前におまわりさんが自転車でここへやって来て『昨日、クマがこの辺りを通りませんでしたか』鳥井原の畑がクマに荒らされたんで、この辺はクマの通り道だから調べていると。それはもうびっくりして、あわてて東京に帰っちゃったよ(笑)」。これだけは風情があるというわけにはいかなかったようだ。
売れっ子作家だから軽井沢でたくさんの原稿を執筆しているのかと思いきや「いやぁ、仕事ははかどらん。風情があるのにどうして?って、それは」(次号へ続く)