Kaleidoscope

軽井沢が見える万華鏡 №5

 この季節、軽井沢を訪れる人々の楽しみは新緑。木々の芽吹きが始まると、林の中は柔らかな萌黄色に彩られます。そして、気づくと足元には小さな野の花が...。花屋の店頭でパンジーやヴィオラしか見たことのない都会人は、本物のスミレがこんなにも小さいことや、ピンク・白・濃い紫・薄い紫など何色もあることに驚かされるのです。

 また、タラの芽、ワラビ、コゴミなど山菜を採って味わうのも、この季節ならでは楽しみ。これまた、種類がたくさんあって覚えきれません。最近の私のお勧め山菜はギョウジャニンニク。ただの葉っぱみたいなのに、食べるとニンニクのような味がします。1株分けてもらって庭に植えたら大きくなり、様々な料理に使えるので重宝しています。

 ところで、明治時代、軽井沢へ避暑に訪れた外国人たちは、いったいどんなものを食べていたのでしょう。取材をしてみると、食文化に関しても軽井沢は特別な処だったことがわかります。

 明治21年に別荘を建てたA.C.ショーのクチコミで、友人たちが軽井沢へやってきます。外国人向けに改築した亀屋(万平ホテル)に泊まる人もいましたが、別荘を所有する人も増えていきました。明治26年には外国人別荘が21戸。その前年には、旧道に肉屋が2軒、牛乳屋が3軒、氷屋が2軒できていました。そう、彼ら西洋人は、日本に来たから、信州に来たからといって山菜や蕎麦を食べていたわけではなく、自分たちのライフスタイルをそのまま持ってきていたのです。信州の寒村にすぎなかった軽井沢はたちまち欧風化して、旧軽井沢には肉屋、パン屋が増えていきました。ホテルでは、軽井沢に住む外国人から教えてもらい西洋野菜を栽培したり、豚や鶏を飼って自家製ハムやソーセージを作っていたそうです。

 明治・大正時代の日本では、ご飯、味噌汁、焼魚、納豆、漬物といった和食が一般的。今でこそ、フランス料理のディナーコースも身近なものになりましたが、当時の一般庶民にとっては、見る機会すらない超高級料理でした。「リゾート軽井沢」の歴史をたどると、外国人の影響を大きく受けていることがわかりますが、食文化もまた例外ではなく、パン、ジャムなど、その影響が今日へと続いていることも興味深いのです。

(広川小夜子 軽井沢新聞編集長)

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