【軽井沢人物語】元国連開発計画(UNDP)管理局長・ 駐日代表・総裁特別顧問 弓削 昭子 さん
途上国の発展に向き合い、国際協力に関わり続ける
国連職員として32年間勤務。そのうち12年間は開発途上国を渡り歩き、様々な援助事業の計画、実行に携わった。心掛けていたのは「とにかく現場を見て、現地の人と話すこと」。1994年から4年半常駐したブータンでは、地方を回り知事や村人と対話を重ねた。農業の中心だった穀物栽培だけではなく、野菜や果物の生産拡大の可能性を政府に提言。専門家を招いて、気候や風土に合った品種の見極めや農業技術向上に取り組んだ。
「まもなく質のいいアスパラが市場に並ぶようになり、野菜や果物の種類が次第に増えていきました」
国際協力に興味を抱く原点は、幼稚園から小学3年まで暮らしたメキシコ。都市部から少し離れると、水道も電気もないバラックで暮らす人々の姿があった。
「自分と同世代の子が全く違う生活をしているのが衝撃で、子どもなりに貧困と格差を感じました」
現在は国際協力に関連する機関の評議員、理事などを兼任し、これまでの経験から私見を伝える。〈国の発展にAIをどう生かすか〉〈気候変動に伴う災害とどう向き合うか〉など、以前はなかった課題も生まれている。
「経験や知識に頼るだけでは、今の課題に向き合えない。私自身もアップデートしていかないと」
夫の両親が別荘を持っていた縁で、結婚を機に80年代から軽井沢を訪れるように。日本中心の暮らしになった2012年以降は、夏に毎年訪問。滞在中に必ず何か一つは新しい人や場所、体験に親しむことをモットーにしている。
「知り合いも増え、毎年いい思い出が足されています。軽井沢の魅力をまだまだ開拓したい」
国連事務次長補としてニューヨークで暮らした06年から、ジャズ歌唱を習い始め今も続けている。10月に六本木のジャズクラブを借り切り友人知人50人を迎え、コロナ禍を経て5年ぶりに人前で歌った。
「客席と一体になって楽しめました。より多くの歌をもっと上手く歌えるようになりたいですね」
もう一度人生をやり直せるとしても「国連職員として途上国援助の道を選ぶ」と言い切る。国際協力に興味を持つ人が増え、支援の輪が広がっていくことを願っている。