【軽井沢人物語】一社)軽井沢テニス協会会長・公財)日本テニス協会評議員 横澤 規佐良さん

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若手男子テニスプレーヤーに世界へのパスポートを用意して20年

 軽井沢国際テニストーナメントにジュニアの頃から出場すること60年。全日本学生選手権大会や全日本ジュニア選手権大会での優勝経験も。

 2004年、賞金15,000ドルの男子国際テニス大会「軽井沢フューチャーズ」を太田和彦さんや八田修孝さんらテニス仲間4人で立ち上げた。フューチャーズ大会はテニスの世界大会に出場するためのポイントを獲得できる登竜門の大会。

「2002年にシャラポワが初めて国際大会に出たのは草津で行われた15,000ドルの大会でした。そこで得たポイントをもとに勝ち上がり2年後にはウィンブルドンで優勝。その当時、男子がポイントを取れる国際大会が日本に殆どなく、日本人選手が国内でポイントを獲得できるようにと大会を立ち上げました」

 当時、上皇陛下と皇后様ゆかりの伝統ある軽井沢会テニスコートで開催することでも話題になった。

「軽井沢のテニス仲間たち400人以上の方々が応援してくれている。個人の寄付で続いている国際大会は軽井沢だけ。継続は力なり、長く続けられるのも多くの方の応援のおかげです」と20年の感謝を口にする。

 これまでに、デビスカップ日本代表や世界四大大会に出場する選手など多くの若手男子プレーヤーがこの大会から羽ばたいていった。「印象に残っているのは、杉田祐一選手。高校生の時にワイルドカード(主催者推薦枠)で勝ち上がってベスト4。その後、四大大会全てに出場し、世界ランキング36位になったことも。世界での活躍に励まされました」

 成蹊大学卒業後、慶応義塾大学ビジネススクールを経て伊勢丹に入社。退職後は家業の繊維関係の会社を継ぎ飲食・不動産にも分野を広げ幅広く活躍している。

 夏は欠かさず軽井沢で過ごす。

「学生の頃は夕食を食べた後で軽井沢会のクラブハウスや、旧軽銀座のカフェ水野に仲間と集まって楽しかったですね。竹葉亭でよく滝川豆腐と鰻を食べていました」

 テニス中心の軽井沢生活は60年前から変わらない。午前中はほぼ毎日テニスをし、午後はゴルフか別荘でのんびり過ごす。秋には1000人を超える選手が出場する軽井沢ベテランテニス大会の会長も務める。「自分にとってテニスとは...友だちの輪。そんな感じかな」。

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