【軽井沢人物語】作家 青木冨貴子 さん
ニューヨークで暮らし40年「9.11事件」も間近で目撃
アメリカ人ジャーナリストで夫のピート・ハミル氏(1935~2020)との出会いから死別までを綴ったエッセイ『アローン・アゲイン』(新潮社)を3月に発表した。日本では映画「幸福の黄色いハンカチ」の原作者として知られるピート氏は「映画の台本から政治記事、評論、短編まで、何でも書ける人。同業者として吸収することは多かった」。
長く連れ添ったパートナーを失い孤独を抱えている友人は周りにも多く「ただ悲しむのではなく、一人になったことを自覚し力強く生きていってほしい」と思いを込めた。
成城大学経済学部卒業後、音楽雑誌の編集者、週刊誌記者を経てフリージャーナリストに。これまで刊行したノンフィクションやルポは20冊近い。著名人も多く取材していて英国のミュージシャン、デヴィッド・ボウイ(1947~2016)のインタビューでは、カント哲学ばかりを熱っぽく語るので「さっぱりわからなくて困った」ことも。
「会いたい人に会って話を聞けるし、普通に生活していたら得られない喜びや興奮がある。この仕事ができて、本当に恵まれていると思う」
米国の週刊誌『ニューズウィーク』の日本版立ち上げに関わり1984年から3年間、NY支局長を務めた。以来40年に及ぶNYでの暮らしは「言いたいことをはっきり言い合える空気が、私には合っている。日本から戻るとほっとするんです」。
「9.11同時多発テロ事件」で飛行機が衝突した世界貿易センタービルから自宅まではわずか数百メートル。もうもうと煙を上げながら崩壊するビルを目の当たりにした。
「買い物でよく訪れたし、最上階のレストランで食事もした。あそこにまだ人がいると思うと、もう気の毒でならなかった」
両親が追分に建てた別荘を10代の頃から訪れる。
「以前はひなびた良さがありましたけど、便利になりましたね。新幹線が通ってから周りに家も増えました」
日本陸軍の細菌戦研究部隊について書くにあたり、同部隊長の石井四郎の手記を、軽井沢で静養中だった父と読み合わせたのも思い出深い。
1948年東京生まれ。70代も後半に差し掛かり「ますます精力的に仕事をしたいと思って」。これまで発表した書籍の英訳版を米国で出版する話も進んでいる。