【軽井沢人物語】一般財団法人軽井沢会テニス部委員会委員長 諸戸 清郎 さん
別荘文化の移り変わりを、テニスを通じ見続ける
100年以上の歴史ある軽井沢会で、2016年からテニス部委員長を務めている。上皇上皇后両陛下がテニスコートを訪れる際にはテニス部委員長がご案内するのが慣例で、今年も4年ぶりに両陛下をコートでお迎えした。
「今の天皇陛下とは、皇太子時代の平成4年8月に軽井沢会のコートでお相手をさせていただき、陛下と私が組んで勝ちました。その直後に陛下がご成婚されて、それ以来軽井沢にお越しになっていないので、私にとっても印象的な出来事です」
軽井沢を初めて訪れたのは、小学校1年生の時。雲場池のほとりにあった雅叙園で夏を過ごすのが恒例だった。
「食堂の奥のバーカウンターの横にあったスロットマシーンでよく遊びました。雅叙園は戦後、ニュー・グランド・ロッヂの時代に米軍に接収されたので、スロットマシーンはその名残りであったのかもしれません」
中学2年で軽井沢会に入り、高校・大学時代はテニスコートに入り浸る。
「軽井沢会の事務所棟2階に、あの頃、プロの渡辺力さんが住み込んでレッスンしていたので、力さんや先輩、後輩たちと和気藹々と過ごしていました。夜は街を歩いたりして、青春時代の中心に軽井沢会がありました」
大学卒業後はエンジニアとして31年間、富士通に勤務。大型計算機の磁気テープ装置の設計などを手がけた。根っからの理系で、軽井沢国際テニストーナメント(軽トー)や軽井沢会部内の「ABCDトーナメント」の対戦表作成なども担当している。今年は4年ぶりに両大会を開催した。ABCDは160名が参加し、1チーム20名、8チームが競う団体戦。諸戸さんはエンジニアの経験を生かし、各チームの実力が均等になるよう組み分けや対戦を考える。参加者の全員の腕前を把握していないとできない作業だ。
「軽トーは1968年の時は、45才が壮年の部という最高齢のクラス。85年に55才のクラス、87年に65才のクラスができて、今では75才のクラスまであります。最近は80才のクラスも作って欲しいという声もあるほど。人間は長生きになりました」
軽トー100年の記念誌作成では、歴史を調べ、資料を収集した。機会があると、軽井沢会やトーナメントの歴史を話すことにも積極的だ。
「軽井沢は昔から肩書や身分にとらわれず平等に楽しめるところ。それが軽井沢のよさ。軽井沢会や歴史あるトーナメントがこれからも続いていけるようにと願っています」