【軽井沢人物語】ギャルリーためなが代表取締役 爲永 清嗣 さん

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行マンから老舗画廊の二代目へ 夏の軽井沢で"看板息子"に

 大学までの一貫校に通っていた小学5年生の時、テレビ番組「兼高かおる世界の旅」でイギリスのケンブリッジ大学とオックスフォード大学のボート対抗戦を見て、「世界はこうなっているんだ。早慶戦なんて言っている場合じゃない」と衝撃を受け、中学生から単身、スイスへ留学した。高校時代はアメリカで学び、シカゴの大学へ進むも「日本の教育も受けた方がいい」と思い帰国。そのまま日本で大学を卒業し、日本興業銀行へ就職した。

「入るからには、頭取を目指していました(笑)。海外が長かったから、半官半民のような銀行では異端児だったんじゃないかな。自分には向いていないと感じて4年で退職し、『お金より美術を扱いたい』と思ってパリに行き、自分の画廊を立ち上げました」

 父の爲永清司さんは、1969年に銀座に画廊を開き、ベルナール・ビュッフェや藤田嗣治など当時日本では無名だったエコール・ド・パリの作家たちを日本に伝えた人物。1971年にはパリにも画廊を設けていた。清嗣さんは子どもの頃から「画廊は継がせない」と言われてきたこともあり、自分の会社を一から作ることにした。

「その時が一番大変な時期でした。4年経った頃、父の会社のパリ支店の責任者が退任し、後継者の話がきて、悩んだ末に引き受けました」

 1995年、清嗣さんは二代目に就任。現在は銀座・パリ・大阪・京都に画廊を持ち、日本とフランスを行き来する生活を送っている。

「最近は絵画が投資目的になっているけれど、作家の名前や価値でなく、純粋に『この作品が好き』『この絵を飾りたい』と思ってくださる方にお届けする。それが画廊のあるべき姿で、我々もそうありたいと思います」

 幼少の頃から夏は軽井沢で過ごし、奥様の亜里子さんとは軽井沢の別荘で出会った。コロナ禍でフランスに行かれなかった時期は夏以外にも軽井沢を訪れ、四季折々の自然の美しさに魅了されたという。1980年代は旧軽銀座に夏期出張店があったが、昨夏、久しぶりに期間限定で軽井沢に画廊を開いた。

「そこで2週間、"看板息子"として店先に立っていましたが、久しぶりの方と再会したり、知り合いがたくさん来てくださって嬉しかったです」

今年も8月10日から始まるポップアップで、看板息子として2年目の夏を過ごす。

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