【軽井沢人物語】全日本スキーマスターズ長野県代表選手 森永 正幹 さん
競技スキーの全国大会へ挑戦を続ける85歳
高校から始めたスキーのキャリアは約70年。「あの緊張感、達成感は他で味わえない」と、社会人になって競技スキーにのめり込んだ。85歳の今も、マスターズスキー選手権大会に出場。大会は5歳刻みの年齢カテゴリーごとに順位がつく。県大会では入賞経験もあるが、全日本となると「学生時代から知っている名選手もいる。敵わないですね」。それでも年を重ねると、競技を離れる人も増えるため「生きて元気でさえいれば、何とか上位に手が届くかも」と、トレーニングを続けている。
70代の頃は、軽井沢プリンスホテルスキー場が営業した140日間、毎日欠かさず滑ったシーズンも。当時を振り返り「さすがに自分でも何やってるんだろうなと。体壊しますよね」。今はスキー場と自身のコンディションの良い日に、人の少ない朝の2時間だけ滑るようにしている。
東京銀行に在籍し、ヒューストン、NY、シドニー、シアトル、パナマシティの支店でも勤務。妻と3人の子どもを連れ、2〜3年間隔で東京と行ったり来たり、転勤を繰り返した。
「海外各地での学校生活は総じて、本島より自由度も高いと思う。親の仕事の都合とはいえ、子どもたちには転校続きで大変な思いをさせました」
50歳から、銀行間の外国為替取引を仲介する上田ハーローで社長、会長を歴任。数十人が円卓を囲み、為替売買の電話注文を受けては、取引内容を記した伝票を投げてやりとり...。同社の様子は、為替が動くたびにニュース映像で登場した。
「人と人の阿吽の呼吸が大事でした。それが今はすべてコンピューター。当時の仲間と会うと、過酷だったけど良い時代だったよなって話すんです」
20代の頃から、夏はあちこち旅行するのではなく、決まって軽井沢の別荘へ。ドライバー役を務め、日銀総裁も務めた父の森永貞一郎さんら家族とともに滞在した。退職後の2005年から軽井沢を終の住処と決め、夫婦で移り住んだ。
「晴天率が高いのに夏は暑くなく、冬の凛とした寒さも気持ちいい。避暑で来る人には非日常だけど、ボクらは日常。それって贅沢だし、毎日を大事にしたいと思いますよね」
春〜秋は5㌔のウォーキングが毎朝の日課。ただ歩くのではなく「全力」と「ゆっくり」を3分ごと繰り返す。ウィンターシーズンに向けた準備はもう始まっている。