【軽井沢人物語】建築家(北澤建築設計事務所代表) 北澤 興一 さん
レーモンドの教えを胸に 85歳の今も一線で活躍
モダニズム建築を日本に多く残し、軽井沢の聖パウロ教会などを設計した建築家アントニン・レーモンドに師事。レーモンド建築設計事務所に入所する直前の1962年3月、完成間近だった同事務所の「軽井沢新スタジオ」(レーモンド設計)を、大学の仲間5人と見学に訪れた。初めて目にする12角形の杉丸太建築に感激。町内の大学寮に宿泊予約を入れていたが「ここで一泊したい」と管理人に申し出た。
「一升瓶2本を持参して頼んだらOKが出て、貸し布団屋さんを紹介してくれました。あとで聞いたらレーモンド本人も完成を見る前で、学生の私たちが初使用だったんです」
レーモンドのもとで初めて担当した仕事は、南山大学キャンパス(名古屋市)。現場を見に来たレーモンドが作業員のミスに気付き激高し、一カ月以上建設が中断したことも。
「『現場は常にきれいに』というのが教えの一つでした。小さいミスも見逃さず、現場管理は徹底していました」
1973年、レーモンドのアメリカ帰国が決まり「軽井沢新スタジオ」売却の話が持ち上がると、購入を申し出た。
「前年にレーモンドが手放した『葉山海の家』が、売却後すぐ取り壊されたのが悔しくて。お金も全然ない頃だったから、苦労しましたけどね」
自身の事務所設立後は、日本各地のビルやマンション、病院、学校などを設計。東日本大震災で津波に遭った宮城県石巻市立大川小学校もその一つ。完成した1985年当時は、北上川河口から約4㎞上流ということもあり「津波は想定していなかった」。学校の裏山の、町並みや川を見渡せる場所に東屋を建て、屋外教室にするアイデアは、民有地ということもあり実現できなかった。
「日頃からそこへ行く習慣があれば、避難場所になっていたかもと考えると、残念でなりません」
「軽井沢新スタジオ」は築60年の今も、レーモンドの使っていた当時の状態を維持している。4〜11月は定期的に訪問。別荘建築の初回の打ち合わせは、新スタジオで行うの恒例だ。「軽井沢に来たら、軽井沢の空気を感じてほしい。空調機をつけて窓を閉めたら、東京の夏と変わらない」と、風の通りぬける設計を心掛ける。これまで手がけた軽井沢の15軒の山荘には、空調機が一つもついていない。