【軽井沢人物語】指揮者 原田 慶太楼 さん
軽井沢を愛する指揮者がホームグラウンドとして始動
活躍目覚ましい若手音楽家に贈られる渡邉暁雄音楽基金音楽賞や齋藤秀雄メモリアル基金賞を、今年、立て続けに受賞した。アメリカ・サヴァンナフィルハーモニックの音楽・芸術監督と東京交響楽団の正指揮者を同時に務め、国内各地はもちろん、世界中を飛び回り指揮台に立つ。
小学生の時に観たミュージカルをきっかけに音楽を志す。サックスを学ぶために進んだアメリカの芸術高校で指揮者のフレデリック・フェネルと出会い指揮の勉強を始めた。アメリカやロシアの大学で学び続け、20歳の時、モスクワ交響楽団で指揮者デビュー。その後、巨匠と呼ばれる指揮者のもとで研鑽を積んだ。
「アリゾナオペラで8年間指揮者を務めました。オペラをやるときは、まずその歌詞をセリフのように言ってみてもらうんです。作曲者の伝えたい言葉をきちんと伝えなければいけないですから」
その後、シンシナティのアソシエイト・コンダクターに就任。ポップスのコンサートなども手掛けた。クィーン・オブ・ソウルと呼ばれたアレサ・フランクリンと共演したコンサートには3万人超が訪れた。
「オーケストラに親しんだことのない人も楽しんでくれていました。オーケストラの良さを感じてもらえる機会になっていたと思います」
結婚を機に軽井沢を訪れるようになり、日本滞在中は南ヶ丘の別荘で過ごすことも多い。
「自分の別荘はレーモンド設計事務所が手掛けたもので、その縁で建築家レーモンドについても勉強しました。レーモンドが大事にしている精神性やコンセプトは、自分が音楽で大事にしていることに通じていると感じます」
この夏、満を持して大賀ホールで指揮を振る。「軽井沢に関係のある人のコンサートがもっとあってもいいかなと思って。自分がせっかく軽井沢にいるなら、ホームグラウンドとしてコンサートをやっていきたい」と語る。昼の「0歳からのコンサート」は赤ちゃんが泣きわめくこと前提の企画。夕はピアニスト・清塚信也さんと東京交響楽団との共演だ。1950年代にあった軽井沢現代音楽祭へのオマージュとして、現代の作曲家も積極的にプログラムに取り入れる。
「軽井沢に昔から根付いていた現代音楽へのスピリットを蘇らせたいんですよね」