【軽井沢人物語】NPO法人軽井沢国際交流協会理事長 山本浩行 さん

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名実ともに国際的な街へ 住民交流続け、行政への提言も

 2012年に軽井沢国際交流協会を発足。軽井沢に在住・滞在する外国人の支援とともに、国籍、年代を超えた住民交流を続けてきた。コロナ禍でストップしている活動もあるが、スピーク・イージー(お話し会)やスポーツなどで、毎週のように親睦を深めている。

「国際交流はお互いに生活を共有することで生まれる。共通の関心事がないと難しいと思うんです」

 軽井沢を名実ともに国際的な街にするため、まちづくりに対する提言・協力も続ける。町に働きかかけて、英語・日本語併記の観光案内看板(18か所)を19年に設置。六本辻ラウンドアバウト花壇の植栽も、20年から町と協働で行っている。

「外国人の会員がよく言うのは、この町は花が少なすぎるということ。道路に面した家の窓辺、道端、公園とか、欧州の街のように花がもっといっぱいあってもいい」

 アフターコロナを見据えた観光施策として「入込客数や消費額など、単に数字だけ追うのはナンセンス」と持論を展開する。

「受け入れる側と訪れる側、人同士が接点を持ち理解しあえる関係を築いてこそ、軽井沢の価値が生かされる」

 2004年まで勤めた大手総合商社の三菱商事では、液化天然ガス(LNG)の生産や仲介貿易などに関わった。ニューヨーク、パリ、シンガポールなど海外勤務も経験。1970年代にはブルネイで、牧場を作るプロジェクトに従事した。ジャングルを切り開き、オーストラリアへ牛を買い付けに出かけた。

「商社に勤めてよかったのは、やったことのない仕事に次々と携われたこと。自分で考え道を開いていく喜びがありましたよ」

 1944年京都市生まれ。親戚・友人の多い東京から近く、以前暮らしたニューヨーク郊外の街に似た雰囲気が気に入り、2005年に軽井沢へ移住。春~秋は庭いじりや薪割りに汗を流す。妻との共通の趣味はショッピングだ。

「アウトレットも行きますよ。私たちが来た17年前と客層が変わってきているなとか、観察するのが好きなんです」

 10年前の協会発足パーティーで、「まだこの会はブドウ。時間をかけていいワインにしたい」とあいさつした。会は今なお熟成を続けている。

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