画家 篠原 義易 さん

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浅間とともに、画業60年
上皇ご夫妻とも交流


 軽井沢生まれ軽井沢育ち。幼い頃から身近にあった浅間山は、「いくつ描いたかわからない」特別な存在。35年余の中学校美術教師勤務で渡り歩いた5校(立科、芦原、御代田、小諸東、軽井沢)も、「浅間が見えるところを希望した」ほどだ。

 祈りをモチーフに自身の内面を具象化した作品『聖盃拝受(せいはいはいじゅ)』が2001年、美術団体「元陽会」の内閣総理大臣賞を受賞。御代田中時代の教え子が実行委員会を立ち上げ、記念の個展を開いてくれた。これまで発表した2冊の画集の印刷・製本も、印刷会社を経営する芦原中時代の教え子にお願いした。

 「同級会が毎年いくつかあって、多くの生徒やその親と未だに繋がっている。教え子は宝ですよ」

 3年がかりで制作した大壁画『御代田の祭り--豊穣の祈り』(高さ194cm、幅486cm)を、御代田町の庁舎新設にあわせ昨年寄贈。裾野がのびる浅間山に抱かれるように、御代田を代表する3つの祭り(龍神まつり、小田井宿まつり、寒の水)や旧跡、名所を描き入れた。

 「あれだけの祭りを続けている場所って他にない。どれも個性的だし見応えがある。教え子や地域から受け取ったものを、形で何か返せればという思いでした」
 戦時中に疎開した上皇后美智子さまは、軽井沢第一国民学校の同学年。軽井沢で上皇ご夫妻のテニス相手を夫人の克代さんが務めた縁もあり、これまで2回、お二人を自宅に招いている。2回目の訪問時(2015年)、前出の大壁画を制作中だった2階のアトリエに案内できなかったのが心残りだ。

「階段の上り下りで何かあっては大変と、許可が下りませんでした。ご夫妻には今まで同様、軽井沢へ静養にいらしてほしいですね。その折に大壁画を見て頂けたら、こんな幸せなことはない」

 画業60年以上。85歳の今も毎朝2時間、絵と向き合う。「最後の仕事」と決め取り組んでいる50号の作品は、たなびく雲海の切れ目から、佐久市跡部に伝わる一遍上人の踊り念仏が垣間見える。秋篠寺(奈良県)の伎芸天立像も右に配した。

「絵を前にアイデアが浮かばず、全く描けない日もある。ゆっくり進めているので、いつ完成することやら」

 アトリエの北西では、浅間山が今日も穏やかな姿をたたえている。

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