元スピードスケート選手 三宮 恵利子 さん

1712_hitomonogatari.JPG オリンピックで旗手を務めた元トップスケーター
 長野、ソルトレークと2度の冬季オリンピックで、スピードスケート競技に出場。ソルトレークでは、日本選手団の旗手も務めた。

 「とにかく出たかった」という1998年の長野は1000mで8位入賞。500m金、1000m銅の清水宏保選手に「メダルをかけさせてほしい」と頼んだが、応じてはくれなかった。



 「『欲しかったら自分でとれよ』って、その一言で、次は勝ちに行く五輪にしようと心に決めました」。


 その後はワールドカップで通算6勝。2001年の世界スプリント選手権総合2位は、17年2月に小平奈緒選手が優勝するまで日本人歴代最高位。メダルへの期待を背に臨んだ02年のソルトレークは500m11位、1000m17位と失速。思い描いていた形とはかけ離れた結果に。最大の原因は「苦手だったスタートダッシュの練習に時間を費やしたこと」と振り返る。筋肉が瞬発的なものにかわり、トップスピードを落とさず最後まで滑りきるという、本来の持ち味が影をひそめた。


「あの舞台でメダルをとるには、全てが揃わないと難しい」。


 同年に引退後はスピードスケート講師、テレビ解説、講演などを中心に活動。17年6月に就任した、日本自転車競技連盟理事の仕事は「新たな挑戦です」。自転車は、男子に比べ女子の競技人口が極端に少ないことから、「東京五輪でメダルを狙えるよう、女子の人数をどう増やすかが課題」。


 18年2月、平昌冬季五輪が開幕する。スケート競技はもちろん、地元のSC軽井沢クラブが出場するカーリング、ノルディック複合など他競技の行方にも注目している。


「日本の選手が全体的に調子良いので楽しみです。時差もないし、精神的なストレスは少ないと思うので期待したいですね」


 北海道釧路市出身。結婚を機に07年、夫の故郷である軽井沢へ移住。小2と年長の二女の母。自分の子どもにスケートをやらせることには抵抗がある。


「まず、私のような思いをさせたくない、という気持ちがあります。あと『私の子なのに何でできないの』と、冷静になれなさそうで...」。


 そう語る表情は、世界のトップでしのぎを削ったアスリートというより、我が子を思う母親のそれだった。


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