元国連事務次長 明石 康 さん

1709_hitomonogatari_280.jpg 元国連事務次長 明石 康 さん
 国際関係学の専門大学院フレッチャー・スクール(アメリカ)在学中、国連の英国人幹部の熱心な誘いを受け1957年、日本人初の国連職員に採用される。

 研究者志望だったこともあり、当初は「国際政治の現場で2~3年経験を積んで、帰国したら大学で講義するのに役立てようという気持ち」だったが、以後約40年間、国連の仕事に携わった。

 カンボジア内戦収束のため1992年、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)の代表に。他国からの寄付で集めた約20㌧の携帯ラジオを国民に無料配布。国連放送局から、民主主義の意味を伝え、投票を呼びかけた。カンボジア初の国政選挙は投票率約90%に達し、成功に終わった。

 「感動しましたね。ポル・ポト派が投票所を攻撃する可能性があったにも関わらず、嬉々として投票所に向かった人々の姿が忘れられません。女性は晴れ着を着て、中には投票所まで数10㎞もの道のりを歩いた人もいました」

 これからの平和構築に向けた日本の役割について、「宗教や民族の対立を解きほぐす広報活動、途上国の開発や人道支援に積極的に参加すること。平和は祈っていても勝手にやってくるものではありません。創る平和を目指すべきです」と語る。

 一方、国民レベルで他国の人と対話を続けることの重要性も強調する。 「自分の考えを語るかわりに、相手の気持ちもきちんと捉えること。同じレベルで思いを伝え合うことができれば、言葉が流暢である必要はありません。歴代の国連事務総長も皆、お国訛りの訥々とした英語でした」

 会合での講演や大学の講義などで日本各地を飛び回るが、時間を見つけては、春から秋にかけ南原の別荘を訪れる。

 「なんとなく東京より酸素が多い気がしますね。読書もはかどります」

 今年86歳。南原文化会の離山ハイキングは明石さんの呼びかけで始まり、今年12回目。東京でも週末を中心によく散歩する。自宅のある六本木周辺は「坂が多いので、歩くと非常に運動にいいんですよ」。  国連事務次長として、いくつもの険しい道を乗り越えてきた明石さん。散歩でも平坦な道は選ばない。

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