作家・精神科医 加賀乙彦 さん

ph_201307_01.jpg 加賀乙彦 さん
 二・二六事件の記憶、家の空気が一変した母の不倫、死刑囚・正田昭との交流、キリスト教徒になった経緯――。80余年の歩みを語り下ろした『加賀乙彦自伝』を3月に刊行した。
 「四半世紀かけ、自分がモデルの小説『永遠の都』『雲の都』を書いてきましたが、あくまでフィクション。誤解されていた部分もあったので、それを分かってもらいたかった」
 1974年、追分に別荘を建ててからは、執筆のため年間を通じて軽井沢へ。東京でも軽井沢でも、毎朝1万歩の散歩が日課だ。
 「同じ歩数でも、軽井沢の1万歩は、小鳥が朝早くからた くさん鳴いて、風のささやきも気持ちいいですね。執筆のスピードも格段に上がります」
 かつては、作家の遠藤周作や北杜夫、劇作家の矢代静一らと、夏の軽井沢でよく宴を開いた。
 「北杜夫が鬱になるとみんなで励ましてね。躁のときは、逆に北杜夫がみんなを励ますんです。非常に面白い集まりでした」
 1998年より軽井沢高原文庫の館長を務める。今夏は、死刑囚の正田昭(1929-69年)が刑執行の直前まで綴った、文通相手の女性への手紙を朗読するイベントを企画。加賀さんも正田と3年間文通を続け、彼をモデルにした小説『宣告』も発表した。
 「私への手紙は、言葉づかいが丁寧で、文学や神学についての考えが、真面目に綴られているのですが、女性に対しては言葉がくだけ、ユーモラスな青年という印象です」
 精神科医として、今でも白衣に腕を通す。都内の精神科病院へ月2回は出向き、50人ほどの患者を診察する。自身はそろそろ辞め時と考えるが、患者からは引き止められている。
 「『先生、私より先に死んじゃだめよ』とかね。皆さん僕に診てもらいたい気持ちが強いようです」
 今年84歳。執筆のため、毎日4時間はパソコンへ向かう。日本人として初めてエルサレムを訪問したイエズス会司祭、ペトロ岐部(1587-1639年)の生涯を追う長編小説を執筆中だ。
 「今の多くの日本人は、彼の強い生き方にびっくりするでしょう。かれこれ10年、1千枚近く書いていますが、完成はまだ先になりそうです」
 夏の間はずっと軽井沢に滞在し、診察のある日だけ東京へ戻る。森に囲まれた山荘で、鳥の声を聞き、風を感じ、執筆に勤しむ夏が始まる。

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