デザイナー 西田 武生 さん

西田さん.jpg 西田 武生 さん
 1951年にデザイナーデビュー。三宅一生さんや森英恵さんらと共に、日本のファッション業界の第一人者として活躍し続けている。 日本では現役最高齢のデザイナーだ。これまで秋篠宮紀子様や美空ひばりさん、黒柳徹子さんら各界著名人のドレスなどを手掛け、エレガントなデザインで、女性の優雅さや魅力を引き出してきた。
 富山県出身。外国船が出入りする伏木港の近く、異国情緒漂うモダンな町に生まれ育った。 南京下見張りの塀、玉砂利にケシの花が咲く道に灯台守の見えるエキゾチックな街並みが原風景。学生時代は英語の本を持って停泊中の船に行き、英語を教えてもらったり、パパイヤやマンゴーを食べたりしていた。
「日本にいながら西洋に憧れていました。授業中にマレーネ・デートリッヒの似顔絵を描いたり、あまり真面目じゃなかった。その頃からデートリッヒが僕の女神でした」
 1951年に伊勢丹主催の「婦人子供服デザインコンクール」で婦人服特選を受賞し、デザイナー生活をスタートした。当時、男性デザイナーはまだ珍しい時代だった。
 美空ひばりさんの曲『ひばりのマドロスさん』の衣装を手がける時、心に浮かんできたのは故郷・伏木の風景。 ひばりさんの姿を大きく見せられるよう丈の長いキュロットスカートに、船長の帽子、赤いスカーフを合わせた。
 1960年代、全国の百貨店に「西田武生プレタポルテ」コーナーを開設。1980年代は「タケオ・ニシダ」で東京やイギリスのコレクションに参加した。 英国エディンバラ城で行われたロイヤル・コレクションの参加作品は、ロイヤルミュージアムで永久保存されている。
 30年以上前から軽井沢で夏を過ごしている。当初は万平ホテルに滞在していたが、25年前に旧軽井沢に別荘を建設。娘夫妻と孫の三世代で避暑生活を楽しんでいる。
「毎夏、旧軽井沢銀座通りの入口にある陶画堂で、楽焼をやるのが僕の恒例行事なんですよ」
 人生訓は「思い立ったらすぐ実行」。ダメだったら止めて、次のことを考える。
「スランプになったことはないですね。スランプは休んでいることと同じですよ。夢は見るものではなくて、生きるもの。人は皆、それを追いかけているんです」
 すでに4年後の東京オリンピックの仕事が予定されている。そこで、着物や帯締めなどをドレスに仕立て世界に発信するのが目標だ。
「日本の職人芸術を海外に伝えたい。デザイナーと呼ばれるよりも、職人貴族と称される仕事を目指しています」
 その創作意欲は衰えることを知らない。

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