1930年代の軽井沢って?
2018年4月19日 14:13
桜がまさに見頃を迎えている軽井沢ですが、17日の冷え込みで、浅間山が再び冠雪。
白い浅間と桜、冬と春の景色を一度に楽しめて、何だか得した気分です。
軽井沢の情景を歌った1935年発売の「千ヶ滝小唄」に、
再びスポットライトを当てようと活動する、
軽井沢の女性音楽家を取材しました。
この歌は昭和に活躍した歌手、藤山一郎さんと渡辺はま子さんのデュエットソング。
藤山さんは作曲もし、2代目市川猿之助さんが振り付けを担当しています。
こちらに記事も載っているので、ご覧ください。
昭和後半生まれの私にとって、
藤山一郎さん、渡辺はま子さんがどれだけのスターだったか、
わかりかねるのですが、
藤山一郎さんの歌う「青い山脈」は知っていますし、
お二人の紅白歌合戦の出場歴などから、
ただならぬ人たちであることはわかります。
そんな方々が歌う軽井沢の曲があることに驚きましたし、
軽井沢に関わる多くの人に知ってもらえればと思います。
1939年7月に軽井沢で生まれたドイツ人のヤン・ヘンペルさんが、
78年ぶりに軽井沢の地を踏みました。
自身が生まれた軽井沢サナトリウムがあった場所や、
1940年の夏を過ごした貸別荘の跡地、
母がプレーしたという軽井沢会テニスコートなどを訪ねました。
ヤンさんが日本で過ごしたのは0~1才のため、
当時のことは全く記憶にないそうですが、
「生まれた場所に戻ってこれたことに感激している。とても嬉しい」と話していました。
こちらの記事は次号の軽井沢新聞5月号で掲載予定です。
写真は、軽井沢サナトリウム跡地を訪ねたヘンペルさんと妻のメリアンさんです。
ともに、1930年代に関する取材が続いたことで、
当時の軽井沢はどんな風景が広がって、どんな交流があったのか、
想像しながら、しばし感慨にふけってしまいました。