明治時代の外国人別荘
2007年12月18日 19:18
ここはハッピーバレー(幸福の谷)と呼ばれる別荘地。外国人が名づけた邏 敵な名前ですが、今
の季節、歩いている人はひとりもいなくて、舞い落ちて積もった枯葉がもの哀しい雰囲気をかもし
出しています。春、夏、秋と季節ごとに美しい別荘地ですが、今の淋しい時期は・?辰雄が「風立
ちぬ」の終遶 (死のかげの谷)を書いた・?所というのも、何となくわかるような気がします。(書いた
時期は12月でした)
道沿いに見えてきました。杉皮張りの明治の別荘(実はそっくりに復元した建物)、シーモアハウ
スです。シーモアさんという女性宣教師が建てた別荘ですが、帰国するとき、英語を教えていた
同志社大学に寄付していったのです。
同志社大学では、OBたちの宿泊施設としてとても大切に使用してきました。以前取材したとき、
泊まっていた方が「屋・?に穴が空いても、星がよく見えていい」と言っていたので驚いたほど。
でも、あまりに傷んできたので、とうとう新築したのでしょう。新築には見えないほど、そっくり同じ
に、古い感じもそのままの杉皮張りの建物になっています。シーモアさんの気持ちを一番に考え
のですね。これが新築と気づく人は少ないようです。
やはり明治時代の数少ない別荘として、その行方が気になっていたのがこの芥川龍之介の想い
人、片山広子ゆかりの別荘。売りに出されたとか、もう、売却されたとかという噂がたっていました。
この別荘へ立ち寄ってみると、ちょうど工事中でした。工事の人に「別荘は買い手が決まったそう
ですが、この建物は壊されるのですか?」と訊くと、「いや、売られてなんかいないよ。今は持ち主
の依・?で補修しているん縺 よ」という返事。「そうですか。持ち主の方は邏 晴らしいですね」と思わず
笑顔になると、「こういう建物は軽井沢にとって大事なん縺 よ。もっと、町が協力して補修すればい
いん縺 よ」と工事の方。「そうですね、ホントに…」とうなずいたのでした。
見事な土管の煙突です。杉皮張りの杉皮は今も供給できるので、いつでも、張り替えることはでき
るの縺 そうです。(編集長)